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中学1年生の冬、私は「UHB少年の船」に乗り、サイパン・グアムを目指す12日間の船旅に出発した。

今思い返すと何がきっかけだったのか全く思い出せないのだが、
多分周りの誰かが「少年の船に応募したけど競争率が高くてダメだった」と言っていたのを聞いて、
“そんなものがあるのか”と何の気なしにハガキを出してみたら、何となく通っちゃった、みたいな感じだと思う。

※道外の方のために説明すると、北海道のTV局UHB主催で、
 毎年冬に全道の小学5年生〜中学1年生までの約500名が船に乗って2週間弱の船上生活を送り、
 友情やら団結力やらを育みつつ南の島で遊んで来よう、みたいな船上セミナー?があったのです。
 もう今はなくなっちゃったけど。

参加費はモチロンかかり、確か20万円くらいしたはず。
「うちは貧乏」と小さい頃から両親に刷り込まれていた私は、 当選したものの参加出来るのか本気で心配したが、
クリスマスの日、地元苫小牧港から、無事に出発する事が出来た。お父さん、お母さんありがとう。

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船の中での生活は、「班」が基本になる。
赤・青・緑・黄それぞれ1〜5班まであり、私は青の4班だった。
班にはサブリーダーと呼ばれる大学生が1人ずつ付いていて、
青4の守田リーダーはなかなか格好良いお兄さんだった。
30人弱の班でみんな自己紹介をし、あらかじめ用意してきた名刺を交換し、12日間の船旅は快調にスタートした…

かと思いきや、早速あれですよ、船酔い。

晩ご飯も、せっかくクリスマス用にご馳走が用意されていたのに、全然食べられず。
それどころか、それから数日間北の海は荒れに荒れ、船は揺れに揺れ、正直あまり記憶がない。

船酔いは、寝ると良くなるのか、大抵朝にはおさまっていて、気分良い目覚め…かというとそうでもなく
というのは、毎朝6時半頃に、少年の船のテーマソング (道民の方なら1度は聞いた事があろう、♪白い船で行こう〜♪というヤツ)がかかり、
強制的に起こされたのち、デッキに集合してラジオ体操から1日が始まるのだ。
そして体操やら何やら朝の集いが終わり、朝ごはんを食べて1日の活動が始まる頃にはみんな船酔いアゲイン。
企画されていた行事は、船酔いに倒れる子供たちがあまりに多いせいで次々に中止となった。

私も例に漏れず船酔いした。
しかし、貧乏性の私の体には「食べた物をもどす」という贅沢な機能は無く、
口に入れたものは下からしか出ないようになっていた為、他の子よりはマシだったかも。
トイレに入れば隣の個室からはゲーゲー聞こえるし、部屋の外に出れば紙袋を持ってふらつく子供が溢れ
毎朝ロビーにはたっぷり何かが入った紙袋がズラリと並んで置いてあるという光景は、
ある意味バイオハザード的だったなぁ。



(左)荒れまくった北の海。(中)1番中の良かったなっちゃん。まだ寒くてダウン着てます。(右)かろうじて決行されたデッキランチ。サブリンと。


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お日様の照り具合もだいぶ変わってきて、出発から5日後の12月29日、ついに船はサイパンに到着した。
貝殻の首飾りをかけてもらい、ウエルカムダンスで歓迎され、何より揺れない地に足をつけ、テンションも上昇。
グラスボートに乗ってマニャガハ島に移動し、1日海水浴を楽しんだ。


(左)船から見えたウェルカムダンス。(中)砂が白い!!(右)海水浴の様子。サンゴの破片があるため、靴下着用。日差しが強いため、Tシャツ着用。どうよ?

この日まで、同じ部屋だったメンバーはみんな船酔いに倒れており、あまり交流がなかったのだが、
みんな外国に着いた興奮と船酔いから解放された喜びでガゼン元気になり、初めて夜遅くまでお菓子を食べながら語り合った。

(上)仲良しだったなっちゃん(右)と、あみちゃん(左)。
あみちゃんは同じ苫小牧出身だった他、この旅の後、お父様には市国際交流事業でお世話になり、お兄様とは高校が一緒に。世間せまっ!


翌日は、サイパン島へ。
海水浴のはずが、海に毒クラゲが出たとかで中止。数名刺された人もいたらしい。
それから気を取り直し、現地の人との交歓会
みんなTシャツにメッセージをもらうのに必死で、

「ハロー!マイネームイズ○○!」「My name is XX」 「メッセージプリーズ!」「センキュー!」※最初に戻る

…これを果たして国際交流と呼んで良いものか。
そんな中私は「ケシア」という女の子と仲良くなる事が出来た。
笑顔がとってもかわいくて、人なつっこくて、交流会の後半は、ずっとケシアと一緒にいた。
別れ際、ケシアは私の手のひらに、「BEST FRIEND」と書いてくれた。
私は英語が全然わからなくて、特に何を話したりも出来なかったんだけど、草の根交流の原点、ここにあり?

続いては観光。
スクールバスを借りて、島内を巡る。
バンザイクリフの話などは、これを機に始めて知る事が出来、ここでもサイパンと日本の意外な接点を感じる。
時間が押していた事もあり、観光は駆け足で終わり、最後はショッピング。
初めてのアメリカドル…とはいえ、免税店のため日本語もバリバリ通じるし、特に安いわけでもなく…???


(左)ケシアと。かわいい子だったなぁ〜。ってか後ろのオッサンが気になる。(右)右側の子が、木の実で出来た入れ物をくれた。今も大事にとってある。


(左)狙ってた男の子にサインをもらってほくそ笑む私。(右)その男の子と。後ろにいるのはテレビ局のレポーターのお姉さん。


1年最後の日は、テニアンで迎えた。
テニアンでも、地元の人たちとの交歓会が待っている。

そういえば余談だが、少年の船に乗る事が決まった時、私のおばあちゃんはテニアンという名前を聞いて、
ケニア?船でケニアって、美穂は協力隊にでもなったのかい? と言ったそうだ。
まぁ確かにケニアに負ける知名度のテニアン。グアムとサイパンと一緒に並んでいる小さな島でございます。

テニアンで待っていてくれた人達は、昨日のサイパンにいたような小さな子供たちではなく、
中学生〜高校生くらいのお兄ちゃんお姉ちゃんだった。
みんな、帽子を横向きにかぶったり、ベルトをたらしたり、ダボダボのパンツだったりヘソ出しTシャツだったり、
とにかく中学生の私が思い描く「OH!アメーリカ!!」的なルーズなファッションをしており、
「おぉ、かっこいい…!」と圧倒されながら、やっぱり「メッセージプリーズ!」に奔走していたのでした。


(上)テニアンのお姉さまたち。向こうではピースを裏返す人が多かった。なぜか聞きたかったがそんな英語力なし(寂)


(左)DJっぽくてかっこいかったお兄さん。(右)男の子に1番人気だった姉ちゃん。色っぽいなぁ…

その他、テニアンではヤシの実ジュースを飲む事が出来た。
ちょっと肉付きのいい、“原住民!”って感じのオジサンが、割ったヤシの実を手渡してくれた。
木から取りたてだから、ジュースは生ぬるくて、すっごく甘いのかと思ったら思ったより水っぽくて、
正直「うまいっ!」と言えるものではなかったが、でも、言いようによってはポカリみたいな…?

(左)仲の良かったまきちゃんと。ヤシの実ジュース。(右)テニアンのビーチ。紫色のヤドカリを見つけた。

交歓会が終わり、これで終わりかと思いきや、なんとこの後船でディスコパーティーがあるという。
「ディスコパーティー」って何だその古い響きは、という突っ込みは置いといて、
ともかく、テニアンの人たちを連れて、私たち一行は船に戻り、一応ミラーボールのついているフロアでパーティーが始まった。
とはいえこちらは小学生と中学生。
曲も、ほとんどは当時日本で流行っていた曲(パフィーや相川七瀬)がかかり、みんなで歌いながら手をつないで踊る程度。
ところがどっこいテニアンの兄さん姉さんは、さすが見た目が「OH!アメーリカ!!」なだけあり、
小さな子から、みんなやっぱり踊りが上手い。というか、絵になる。
私たちは、交歓会で仲良くなったニーノレージ という2人の男の子と一緒に踊って楽しんだ。


(上)ニーノとレージ。緑のTシャツを着ているのがニーノで、私はこういう爽やかなのに弱かった。


テニアンで1996年最後の日を飾り、1997年はなんとグアムで迎えた。
グアムでは、前のような交歓会は特に無く、観光と買い物がメインだ。
身分の違いから結婚が許されず、お互いの長い髪を結び合って身を投げたという伝説のある「恋人岬」
ここでは、あきクンと2ショットの写真を撮る事に成功。
「あきクン」は、お兄ちゃん(と呼んでいた、我が青4班のサブリーダー)と同室の、赤4班のサブリーダーで、
とーにかくかっこいいアニキだったのだ。
かたや「青○班の○○君がかっこいい」だの、「赤×班の××君と話した」だの盛り上がってる子たちがいる中で、
私は少年たちに目もくれず、夜な夜なサブリーダーの部屋を訪問していた。 どうよこんな中学生。
でも、お兄ちゃんやあきクンは、そんな私をいつも優しく迎えてくれた。
さすがサブリーダーに選ばれる方々。人間が出来ていらっしゃる。

(左)伝説の恋人岬。(中)あきクン。マジ男前。(右)観光に使ったスクールバス。これまたアメーリカで好きだった。前にいるのは私の班のお兄ちゃん★

…とまぁそんな感じでグアム観光は進んでいった。
他、アプガン砦、スペイン広場などを観光したが、歴史背景がいまいちわからないのに加え、
何を背景にして写真を撮るにも、同じ白いTシャツを着た子供がウジャウジャしており、
私もその1人であるという事を差し置いて、私は少々気が立っていた。

免税店で最後の買い物を楽しみ、船へ戻る。
毎晩行う班別研修の時間。今晩は、「家族からの手紙」が配られる。
この日のために、親たちは前もって子供に宛てた手紙を書き、UHBに送っていたのだ。

ただでさえこういうのに弱い私は、船酔いなども重なってわりとホームシックな毎日を送っていた事も加わって、
予想通り号泣した。
そんな中でお兄ちゃんが「歌おう」と、みんなに「ふるさと」の歌詞を配り、
普段なら「何でやねん!」と突っ込めるところなのだけど、もうそれまで泣ける要素になって、
特にうさぎを追った山も小鮒を釣った川もないんだけど、歌ってまた泣いた。忘れがたしふるさと…。

(上)お父さんからの手紙。このイラストがまた涙を誘い、
   お母さんからの手紙の「ちゃんとウ●コは出ていますか?」という文にまた泣いた。もはや何に泣いているのかわからない。


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束の間の南の島での生活は終わり、ホームシックも全開になったところで、
待ち受けているのは、ここに来るまでと同じ長さの船上生活である。
帰り道は、最終日に「少年の船フェスティバル」という班ごとの出し物をする発表会があり、
毎日その準備作業をしていたので、行きほどは長く感じなかったような…。
ちなみに、私の班は12日間の思い出を振り返る劇をやったのだが、
当時の日記によると、私がそのシナリオを書いたらしい。…全然覚えてない…っていうかどんな出し物だったかも覚えてない…。

船最後の夜は、みんなお互いのTシャツにメッセージを書き合った。とことんTシャツだな。
まぁ私は最後の夜までお兄ちゃんたちの部屋に行って、サイン帳書いてもらったり、写真撮ってもらったりしてたんだけど。

(左)お兄ちゃんと、最後の班別研修の後に。本当に優しくて明るいお兄ちゃんだった。実は私は女子リーダーをしており、青4班について色々真面目な話もしたり…。
(右)ひたすらマイプリンスだったあきクン。スーツもまたエライ似合ってました。

最終日、私と仲の良かったなつきちゃん、まきちゃん、あみちゃんは、わりとみんなホームシック組で、
船の先側だった私の部屋の窓からだんだんと苫小牧港が見えてくるのを見てワクワクしていた。
一方で友達との別れがつらくて泣いている子たちも少なからず見受けられた。
その子たちの多くは、正月の家族からの手紙で泣いておらず、号泣する私たち(私と仲の良かった子たちはみんな泣いていた)を 面白そうに眺めていた子たちだ。
私だって仲の良かった子たちや、お兄ちゃんたちと別れるのは寂しかったが、泣くほどではなかったなぁ。
冷静に「あぁ、人間ってのは大きく2つのグループに分かれるんだなぁ」なんて、 泣いてる子たちを眺めながら、荷造りを進めた。

そして、やっと到着。
家族の顔を見ると、やっぱりホッとしてしまって、帰る車の中でホロリとしてしまった。
そして、安心もした。「これからはあの歌で起こされなくてもいいんだ…」と。


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今これを書き起こしているのは、この旅からもうかれこれ10年近くがたってからなので、記憶も飛び飛びのところが多いのだが、
久々に写真や冊子を見ながら思い起こしてみると、あぁ、なんか良い経験だったよなぁ、と思う。
本当にマイネームイズ以外何も話せなくて、「英語を頑張ろう!」っていう大きなきっかけにもなったし、
生まれて初めて家族と離れて長い期間を過ごすという事で、家族に対する想いも改めて感じる事が出来た。
もしかしたら年上の男の人や外国人の魅力に気づいたのもこの時かもしれないし…(爆)。

数年後、サブリーダーをやりたいと思って応募したが、あえなく書類選考で落選した
タダでサイパン再訪なるかと思ったのに…。←こういう邪な考えだから落ちたのでしょう。

今、ケシアやレージ、ニーノは何をしているんだろう。あの時は、自分の年齢や住所を伝える事さえ出来なかった。
今ならある程度の話なら出来るのになぁ、と思うともどかしい。
現地で会った人だけじゃなくて、サブリーダーのお兄さんたちや、一緒に過ごした仲間はどうしているんだろう。
仲間の数人は、今でも連絡が続いていたり、偶然運命的に再会したりしたけど、
サブリーダーたちは一切わからない。もう結婚して子供とかいるのかなぁ。
あきクンは今どうしているのかなぁ。お兄ちゃんは今どうしているのかなぁ。

あぁ、久々にビデオ見たくなってきた。
(※テレビ局主催なだけあり、後日テレビでこの旅は放送され、参加者用にビデオも販売されたのです。)



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